ロマンを身に付ける!大戦中に作られたジーンズの真髄。
ジーンズは誕生から現代まで、約150年に渡り世界中で愛されています。様々なブランドやショップが様々な形のジーンズを販売し、世界中で老若男女問わず履かれるライフウェアと言って過言ではありません。
星の数ほどあるジーンズから、自分の履くジーンズを選ぶ時何を基準にして選ぶのか。
デザイン?機能性?金額?シルエット?生地?
もちろん、全て大事で重要な要素ですね。
しかし、今回は少し別の視点からジーンズ選びをしてみたいと思います。
日本には、世界でも稀な生産体制を持ち、1940年代のジーンズの生産に特化した縫製工場があります。それは、1940年代のジーンズを当時と同じミシンで縫い、当時と同じ作り方で生産し、生地や部材、糸も限界まで当時のものに近づけるという手法です。
また、現代の縫製工場では多くの縫い子が各パートを分担して流れ作業で大量生産をするやり方がスタンダードですが、1人の職人が縫製から仕上げまで全ての過程を1人で仕上げるというスタイルもあります。
縫製もただ古いミシンで縫えばいいという訳ではありません。1940年代の生産背景やビンテージジーンズを良く理解していないと、表現出来ない作り方なのです。
そんな工場が展開するオリジナルブランドは、時代背景も踏まえて生産される、ロマン溢れるジーンズです。
1940年代はジーンズにとって大きな変革が起こった時代です。第二次世界大戦の影響を受け、物資統制という制限がかかりました。その中で生まれた通称「大戦モデル」と言われるジーンズは、現代もジーンズマニアの間で非常に高額で取引が行なわれる非常に希少なジーンズです。
ビンテージジーンズは、状態やサイズが貴重なものは50万円以上、デッドストックと言われる未使用品に関しては、300万円以上という値段も付くほどです。
そんな大戦時のジーンズを最大限に表現するための重要な要素の一つがデニム生地。
アメリカ政府からの物資統制で一番初めに制限がかかったのが、デニム生地だと言われております。それまでの11オンスのデニムから重量(オンス)の引き下げを迫られました。しかし、その命には応じず13.5オンスに引き上げます。これがデニム生地の大きな転機になったのは間違いありません。こうして生産がスタートした通称「大戦デニム」と言われる生地は戦時中ならではの特徴を持つデニム生地です。
この特徴的な大戦デニム生地を現代に再び作り出す事からロマン溢れるジーンズ作りは始ります。
高価なビンテージジーンズを裁断し、糸の太さ、撚りの強さ、染めの濃度や打ち込みの強さなど、当時どのような生地が作られていたかを徹底的に解析していきます。
まず、色味は大戦ドス黒などとマニアの間で呼ばれる、濃いインディゴ染めの糸が縦糸に使われております。これを表現するために染料を選び、最高濃度で糸を染められています。
もう一つ、大戦デニム生地の大きな特徴は生地のムラ感です。戦時中は軍事産業が盛んになり多くの労働者が従事します。その為、当時の作業服であるジーンズのニーズは大きく伸びます。ニーズに応えるためデニム生地を大量に生産しなければ、ジーンズの生産に追いつかなくなってしまいます。また戦時中のため、生地を織る職人も多軍用の生地の生産に引き抜かれた事でしょう。そのような要因が合わさり、スピード重視し生地の品質管理には多少目をつむらないといけない状況が生まれます。
この戦時中という時代の流れの中で生まれたのがムラが強く、キズなども多い大戦デニムです。
この生地を表現するのは世界中からデニムの聖地として認識されている、岡山県の機屋。日本最古の力織機を使い織ります。しかし、誰でも織れるものではありません。熟練の職人が常に調整をしながら生地ができ上がるのです。
独特のムラ感やザラ感を出すためにゆるいテンションで織られたデニム生地は、空気を多く含んでいるので足を通してみると、見た目以上に軽く柔らかく感じられます。また打ち込みが弱いため、横方向にもムラがでます。
こうして出来たデニム生地は経年変化でより良い風合いになっていきます。
デニム生地一つにしても元となる時代背景や産業や文化、生活様式を考えるて作られているものは当時を思い描くきっかけになってくれますね。しっかりとしたコンセプトを持ったデニム生地を使っているという事はジーンズ選びの大きなポイントです。
ここからは「大戦モデル」のディティールについて詳しく説明をしていきます。
何度もお話しているように1941年から第二次世界大戦の影響を受け、ディティールの簡素化を国から迫られます。それは終戦した1945年までの限られた期間だけに見られるディティールです。この時代は様々な個体差のあるジーンズが生まれています。まずは大戦モデルの特徴的なディティールを紹介します。
バックルバックの廃止
それまで腰位置に付けられていた、バックルバック(尾錠)が廃止となります。
これは戦後も戻ることのないディティールです。
ボタンの変更
メーカーの刻印が入ったボタンから、汎用のボタンへと変更が命じられます。
これは軍用に使われていたものの流用が多くフロントのトップボタンは月桂樹ボタンと呼ばれるもの、小ボタンはドーナツボタンと言われる中が空洞のボタンです。
当時は鉄製のボタンなので、同じ鉄製でボタンを作り表現をします。
ドーナツボタンは現代の規格で作ると当時のものより高さが高くなってしまうので、1個1個、手作業で潰しながら丸みも付け、当時と同じ形にしていきます。
この手間をかけることで、フロントフライの色落ちが変ってくるので非常に大事なところです。
クロッチリベット(股リベット)の廃止
フロントの小股部分に補強のために、打たれていたリベットも物資の削減のため廃止されます。しかし、縫製はリベットのあったときの名残りから逆三角形に幅広く縫われております。このディテールも戦後なくなるので小股のステッチラインも細く変化していきます。細かい所ですがしっかりと表現されているか確認できるポイントです。
ウォッチポケットのリベットの省略
右フロントポケットに付く、ウォッチポケットの両サイドに打たれていたリベットも省略されます。これは戦後に復活するので、大戦モデルだけに見られるディテールとなります。
また、裏側を見ると沢山生産しないといけない時代ということもあり、縫製が荒く不均一であることが分かります。これが戦時中に多い縫製の個体差の1つです。
この縫製を現代で表現できるところは、非常に少なく希少です。
バックポケット
バックポケットの特徴はポケット上部の隠しリベットがUFOリベットに変更されています。
この当時、縫製時にアイロンを使っていないため、生地の折り込みも不均一です。そのため形も浅めのもが多く存在します。その部分もしっかりと表現することが出来るのは手曲げ縫製を行なっている工場だけです。
裏側を見ると、ポケット口の補強のために打たれていたカン止めが物資統制のため省略されます。その代わりに本縫いで止められています。ここも戦後、カン止めに戻るので、大戦モデルだけのディティールとなります。リベットの足は鉄製の二本爪ですが、銅のメッキ仕上げとなっており、パンツの中でこのリベットの足が使われているのはこの部分だけとなります。この箇所のためだけに、銅メッキを施した足を作って表現をしております。
まだまだ、特徴的なディティールや縫製箇所が多く存在する大戦モデル。続きは次回。さらにディープな表現をご紹介したいと思います。