ジーンズの向こう側。新しいジーンズ選びの視点。
ロマン溢れるジーンズを選びたい。普段とは違う視点からジーンズについて考えていくコラムの第2回目。
先のコラムで、日本には、世界でも稀な生産体制を持ち、1940年代のジーンズの生産に特化した縫製工場がありますというお話をしました。その工場のオリジナルブランドのジーンズを紐解き、細部から時代を感じさせるロマンを見つけていきたいと思います。
1940年代の半ばまで続いた第二次世界大戦は、産業にも様々な影響を与えました。ジーンズが受けたその最たるものが、物資統制と言われるディテールの制限です。
この影響を受けた「大戦モデル」は限られた期間のみ作られた希少なジーンズです。今回はそのジーンズの表現を裏側から見ていきます。
フロントフライの内側
1947年までフロントフライの小股部分とオーバーロック部分の下の生地は切りっぱなし縫製と言われる始末をしない方法で仕上げられておりました。
フロントフライの小股部分は47年以降、生地が内側に折り込まれ見た目にも奇麗な仕上げに変ります。しかし、大戦時は先端の処理がされず、デニム生地を切ったままなので、洗うと生地の縁がほつれます。もちろん、小股のステッチで留っているので、そのまま解けることはありません。1940年代のジーンズの表現として、この部分は時代を見分ける分かりやすい要素となります。
オーバーロック部分はフロントフライ部分のパーツの下の生地が切りっぱなしにとなります。こちらの47年以降、フロントフライのパーツと一緒にオーバーロックをがかけられ生地のほつけがなくなります。
縫製の裏側を見ることで、時代が特定できるのは面白いですね。
フロントフライの2本糸オーバーロック縫製
フロントフライの内側にはさらに、戦時中ならではのディティールが隠されております。
この部分のオーバーロック(かがり縫い。生地の端が解れてこないように縫い留めるための縫い方。この縫い方自体に生地同士を留める力はない。)は戦前、戦後と3本の糸をしようして縫われております。これがジーンズを縫製する上でのオーバーロックの定石です。
しかし、戦中の物資統制により、この部分のオーバーロックをするための糸を3本から2本に減らされているのです。これはジーンズを裏返しただけでは分かりません。さらに、オーバーロック部分をめくって初めて分かる省略です。
普通にしていれば、分からないことも、しっかりと追い込んで表現する。それを見つけた時に、何故こうなっているのだろう考える。当時に思いを馳せる。これはロマンがありますね。
裾のチェーンステッチ
ジーンズのこだわりを話すときに、裾の始末は多くの人が語るポイントです。チェーンステッチという種類の縫い方で縫われております。アウトシーム側(ジーンズの外側)にセルビッチと呼ばれるデニム生地の端が来るように裁断し、形が作られていくのです。
セルビッチとは旧式の力織機で織られた生地の端がほつれないようにほつれ止めされていることを指します。生地の「耳」などと言われることもあり、有名な「赤耳」とはこのセルビッチ部分に入った赤色のステッチを含めた俗称になります。
通常、裾を縫う際はセルビッチを開き、デニム生地を折り込んで縫製するのでジーンズの裾部分のセルビッチは奇麗に開いております。
しかしながら、戦中は大量に生産をしないといけないため、セルビッチが開かれずに仕上げられているもの沢山見られます。そして、品質管理上もこれを良しとして出荷せざるをえなかったと想像ができます。
この裾のディティールは失敗ではなく、ビンテージジーンスから当時の生産状況を考察し、理解してワザと伏せて仕上げる大戦モデルの表現なのです。
物資統制と戦時中の生産背景、またそれに携わる職人たちの状況。大戦モデルと言われるジーンズの個体差を生み出す要因として、様々なことが挙げられます。
これまでご紹介したディティールは大戦モデルの中でも王道的なディティールです。
細かい個体差を挙げれば切りがありませんが、ここからはさらにマニアックなディティールや、仕様をご紹介いたします。
縫製ピッチの違い
ビンテージの大戦モデルを見比べていくと、縫製ピッチが違うものがあることが分かります。
では縫製ピッチとは何か。針が一回動くときの長さというと分かりやすいかもしれませんね。ピッチが変ると運針数も変ってきます。運針数とは1インチ(2.54cm)間に、何回縫っているかと言うこと。インチ間ピッチとも言います。
このピッチや運針数が変ると、何が変るかということが重要になります。
基本的に縫製はピッチが広くなる=運針数が少なくなるほど、生地と生地を縫い合わせる力が弱くなります。逆にピッチが狭く、運針数が多いほど縫製としての強度は上がります。
もう一つ変ることがあります。それは縫製をするスピード。
ピッチが広くなると、一回に進む針の距離が広くなるので短い時間で多く縫い進められます。しかし、ピッチが細かくなると針の進む距離は短くなり、縫い進むのに時間がかかります。これは生産をする上で、生産効率に大きく影響を与えます。
戦前、戦後はメーカーのレギュレーションとして運針数は一定で定められていました。しかし、戦時中はいくつかのパターンが確認できます。ピッチが広いもの、細かいものもあります。
生地の部分でも少し触れましたが、戦時中は工場も軍用品の生産に人手を取られ、人員が不足します。しかし、作業服としてのジーンズの需要は急激に増え、生産数を上げないといけない状況が生まれます。
工場ごと、もしくは生産ラインごとに縫製ピッチを変え、生産数を増やしたのではないかと想像ができます。
さらにジーンズの消費者の用途に合わせて、縫製レベルを変えたのではないかという説もあります。
製造業でハードに作業服として使う作業員に向けて販売されたジーンズ。農夫やカウボーイなどの一般のワークウェアとして販売されたジーンズ。最後にアメリカ軍のPX(軍内の売店)で軍人に向け支給されたジーンズ。
製造業の作業員はしっかりとした強度が必要になるため、縫製ピッチも細かく非常に奇麗に縫製されたものが販売され、軍人に向けてはピッチも広く縫い方も荒いものが充てがわれたのではないでしょうか。
そんな当時の状況を、大戦モデルの表現として縫い分ける。ジーンズを当時どのような人達がはいていたか想像しながらはくというのは、ジーンズ選びの新しい視点になるのではないかと思います。
ポケットスレーキのバリエーション
大戦モデルのバリエーションとしてポケットスレーキの変更も大きな特徴です。
スレーキとはジーンズのフロントポケットの袋地のことを指します。一般的には、生成りの厚く糊付けして光沢を出した平織り、または綾織りの生地が使われるます。生地名がジーンズのパーツの固有名詞として使用されるのは、ジーンズのフロントポケットの袋地にこの生地が多く使われたことに起因していると言われている。また、スレーキの語源は、滑らかなという意味を持つスリーク(SLEEK)にあるとされているそうです。
大戦モデルも多くは、この生成りのスレーキが使われております。しかし、中には物資統制の命から軍用と共通のヘリンボーン生地やネル生地の残布などが使われているものもあります。
この個体差もモデルによって使い分け、選ぶことができます。
ここまで2回に渡り、時代背景や生産の状況、縫製の仕方などから普段とは少し変った視点でジーンズを見つめてきました。
初めにも言ったとおり、自分の履くジーンズを選ぶ時何を基準にして選ぶのか。
デザイン。
機能性。
金額。
シルエット。
生地。
全て大事で重要な要素です。
現代の日本で、1940年代のアメリカに思いを馳せるながらジーンズを作る工房とブランドもあります。
ジーンズ選びの選択肢として、ロマンを取り入れるはいかがでしょうか。